了解です。まず「コピペすると “pasted.txt” になる問題」ですが、これは **貼り付ける文字量が多い/長い行が続く/リッチ要素が混ざる** などで、ChatGPT側が自動的に“ファイル扱い”にしてしまう挙動です。回避策はシンプルで、
* **① いったんメモ帳(Macなら テキストエディット を「標準テキスト」)に貼る → そこからWPへ貼る**(最も安定)
* **② ChatGPTからは「分割」でコピペ**(1章ずつ、またはボタン+1章ずつ)
* **③ 画像が出ないのは、src が「ローカル」や「権限が要るURL」になっている可能性が高いので、WPメディアの画像URL(https〜)を入れる**
ここから下は、そのままWPに貼れる **“素のHTMLテキスト”** です(※URLと画像URLは、あなたのものに差し替えて使ってください)。
海苔の香りは、江戸の記憶。
海苔は、保存食であり、嗜好品であり、ときに「心づけ」のような役目も担ってきました。箱を開けた瞬間に立つ香り。指にすこしだけ残る艶。炊きたての白米にのせたときの、しずかな強さ。派手ではないのに、食卓の中心にすっと座る。不思議な食べものです。
山本海苔店は、江戸の町の“いいもの好き”に鍛えられてきた老舗として知られます。大きな声で語るより、確かにおいしいものを出す。そういう商いの作法が、海苔と相性がいい。
海苔の歴史をたどると、制度や流通、海の環境、そして都市の暮らしが、一本の筋になって見えてきます。食べものなのに、時代が読める。ここが面白いところです。
海から、法典へ。法典から、江戸へ。
海苔は、まず「記録に残る食べもの」でした。西暦702年(大宝2年)に施行された大宝律令には、海産物のひとつとして海藻類が租税の対象になったことが記され、のちに“海苔の日”の由来にもなります。1966年(昭和41)に全国海苔貝類漁業協同組合連合会が2月6日を「海苔の日」と定めたのは、古い制度史へ目を向けた、少し渋い記念日のつくり方でした。
場面は江戸へ。1603年(慶長8)、徳川家康が江戸に幕府を開くと、都市は急速にふくらみます。人が増えれば、食が要る。江戸前の海は、魚介だけでなく海藻の“畑”としても働きはじめました。浅草海苔という呼び名が広がるのも、江戸の町と湾の結びつきが強まったからです。海に張った「海苔網」や「ひび」と呼ばれる仕掛けで採り、洗い、刻み、簀で漉く。紙のように作られた海苔は、都市の胃袋に向けた、見事な加工食品でした。
そして1849年(嘉永2)。日本橋の商いが濃くなるころ、山本海苔店が創業します。日本橋は、食の流通の要所。魚河岸も、問屋も、贈答品も集まる。海苔は“持ち運べる旨味”として、粋な江戸っ子の手土産にもなっていきました。海苔が「家で食べるもの」から「人に渡すもの」へ育っていく瞬間です。
1868年(明治元)以降、東京は首都として改造され、百貨店文化が形になります。1904年(明治37)に三越が「デパートメントストア」を宣言したように、贈答は都市の礼節になっていく。海苔は、軽くて、日持ちして、好みが割れにくい。贈り物の条件を、黙って満たしました。
一方、海の側は、いつも穏やかではありません。1923年(大正12)の関東大震災、1945年(昭和20)の戦禍。流通も原料も揺れます。さらに決定的だったのは、海苔が「作れなくなる」危機でした。ここで登場するのが、英国の藻類学者キャスリーン・ドリュー=ベーカー。1949年(昭和24)、学術誌『Nature』に、海苔(laver)の生活史に関わる重要な研究を発表し、日本の研究者と養殖現場に大きなヒントを与えます。貝殻(とくにカキ殻)を用いる増殖の手掛かりが共有され、試行錯誤が実を結ぶ。海苔は、科学によって救われた食文化でもあるのです。
こうして、制度史(大宝律令)と都市史(江戸・東京)と科学史(1949年)が、ひとつの食べものの背中でつながります。山本海苔店の歴史は、その結び目の近くに、ずっと立ち続けてきた——そう考えると、老舗という言葉が少し立体的に見えてきます。
香り、艶、歯切れ。海苔は設計される。
海苔のおいしさは、味だけでは決まりません。むしろ「立ち上がり」に出ます。袋を開けた一瞬、鼻の奥に届く磯の香り。次に、光を吸うような黒。最後に、噛んだときの“ほどけ方”。この三つが揃うと、海苔は突然、料理の主役に近づきます。
技術の話を少し。収穫後の洗い、刻み、漉き、乾燥。ここで繊維の並びと密度が決まります。さらに「火入れ」。温度と時間で、香りが出たり、飛んだりする。強すぎれば苦味が立ち、弱すぎれば青さが残る。海苔は薄いのに、熱の影響は厚い。だから、経験が要る。ここが“職人の領分”です。
もうひとつは「味付」。醤油、砂糖、昆布、鰹節。配合の話ではなく、輪郭の話です。甘くしすぎない。塩気を立てすぎない。香りを殺さない。米と出会ったとき、静かに一体化するように。山本海苔店が得意としてきたのは、この“控えめな決め方”だと思います。舌の上で騒がないのに、あとで思い出す。そういう味。
おにぎり、茶の湯、贈答。
海苔が面白いのは、場を選ぶのに、偉ぶらないところです。家庭なら、おにぎり。海苔の香りが、米の甘さを引き出します。海苔が一枚あるだけで、食事が“しまる”。
もう少し改まった場では、茶の湯の点心や、折詰の一角。海苔は油脂が少なく、口の中を濁しにくい。香りは立つが、後味が澄む。だから、器や季節の演出を邪魔しません。黒が、余白として働く。ここが和の美意識と合うところです。
そして贈答。百貨店文化が育てた「包み」の世界で、海苔は不思議な強さを持ちました。相手の家の台所に、すっと入れる。年齢にも、嗜好にも、宗教にも引っかかりにくい。軽く、割れず、日持ちする。それでいて、ちゃんと嬉しい。贈り物の条件を、どこまでも実務的に満たしながら、どこか品がある。海苔は、贈答の歴史そのものにも寄り添ってきました。
同じ味を、毎年つくるという難しさ。
海苔は農産物であり、水産物です。海の温度、塩分、栄養塩、風。すべてが毎年違う。だから品質管理は、工場の中だけでは終わりません。どの海域のどの時期の原料か、等級はどうか。仕入れの目利きが、製品の半分を決めます。
さらに「再現性」。焼きの強さ、味付の含浸、乾燥の戻し方。ここがぶれると、香りの立ち方が変わります。老舗の信用は、派手な挑戦よりも、同じ安心を続けることで積み上がっていく。地味ですが、いちばん難しい仕事です。
サステナビリティの話も避けられません。海苔養殖は、海の環境と直結しています。過剰な負荷をかければ、いずれ自分たちの畑が痩せる。持続可能性は、理念というより、現場の生存戦略に近い。海の状態を見ながら、無理をしない。そういう姿勢が、長い商いの中で磨かれてきたはずです。
黒い一枚が、食卓を上げる。
海苔は、豪華ではありません。けれど、記憶に残ります。朝の米。夜の酒。子どもの弁当。年末の挨拶。生活のいちばん近いところにいて、節目にも立ち会う。だから、歴史読み物としても強い。制度史から都市史、科学史まで背負って、しかも軽い顔をしているのですから。
山本海苔店の海苔を語るとき、いちばん似合うのは「ちゃんとした香り」という言い方かもしれません。強すぎず、弱すぎず。扉を開けると、すっと立つ。あとは料理に任せる。控えめなのに頼もしい。老舗の気配は、こういうところに出ます。
最後に。海苔は海の作物です。海が変われば、味も変わる。だからこそ、毎年、同じように“いい状態”をつくる努力が価値になる。黒い一枚の向こう側に、時間と手間と知恵がある。その気配を感じながら食べると、海苔は少しだけ、別の食べものになります。
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